2021-09-20 Language exchange、日本語を教えることについて
私に圧倒的に不足しているのは話すことと聞くことなので、その克服のためにもネイティブの友人と対面できる(しかもお互い教える気まんまんで)というチャンスは非常にありがたい。
その利点を活かしきるために彼女に会う前に準備をしておかねばならないのだが、何をどのように準備しておかなければならないのか、というビジョンが曖昧なまま今日を迎えてしまった。
私は日本語を教えることも少しずつ始めていて、このLanguage exchangeはいかに教えるかということの訓練にもなる
日本語教師養成校に通えば教えるための道筋のようなものをある程度教えてもらえるのだろうと期待したが、私が通った学校ではどちらかというと、日本語話者じゃない人、特にフランス人がどこに躓きやすいか、両言語の間にどんな違いがあって、グローバルな視点で見たときに日本語にはどんな特徴があるのか、ということのほうを重点的に学んだ。
何気なく使っている日本語なのに、知らないこと、意識したことがなかったことだらけで毎回の授業は小さな驚きの連続だった。
こちらでフランス語教室に通ったりまたは友人にフランス語のことを尋ねたとき、みんなかなりしっかりと文法的なことをちゃんと説明してくれる。
でも自分を顧みると、日本語の文法なんて全然説明ができないのだった。
「五段活用」とか「副詞は動詞を形容する」とかそういうことは薄ぼんやりと記憶にあるけれど、英語の文法を教えるようなやりかたをそのまま日本語にすり替えるわけにはいかないことに、やっと気づいたりした。
実際に日本語を教える時のために多くの人が使っている『みんなの日本語』という教科書がある。それをなぞって授業を進めてゆけば、おおよその文法や言い回しを網羅できるという優れた教材だ。
これに沿えば授業を簡単に進めることができるのでは…と最初は考えたりしたが、レベルが同じという仮定の多数を相手に教えるならいざしらず、個人的に教えるとなると、全然それは通用しないということが分かった。
もちろん基本的な流れとしては、また基礎として押さえておかなければならない骨組みとしては参考にしているけれど、個人を相手にすると当然マニュアル通りになどできない。どういう目的で学習しているのか…喋りたいのか映画を見たいのか、またはビジネスのためなのか、どのくらいの時間学習に割けるのか、またはどのくらいのモチベーションがあるのか。そういうことで取り掛かり方は全く異なってくる。
もしかしたら経験を積めば「この人はAタイプね」とか「この人はB・C混合の方法で進めましょう」などすぐ見抜けるのかもしれないが、私の場合まだ始めたばかりだから、課題を考え出したり、教材になるものを探したりすることで毎回えらい試行錯誤している。
いったん順路を見つけても、すぐに「いや、ここは遠回りをしてでもこっちをやっておこう」とか「今の段階ならここに時間を割くべきじゃないから中止」とか、そういうことももちろんある。
そういう意味では私はまだ未熟なのだけれど、だからこそ目の前のその人をよく観察して、どうしたら良い道を通れるのかということを、うんと考える。
日本語を教える、しかも習熟の最初の段階に携わるということは、自分もまだ習熟の最初の段階であるフランス語の勉強をいかにするかということのヒントになる。
日本語を教え始めてやっと、語学の勉強というのは自分の興味のある映画やインタビューを読むといったこと以前にやらなければならない下積みがたくさんあるのだ、興味のない繰り返しをたくさん積まないとはじまらないのだなということが、初めて腑に落ちたのだった。
恥ずかしながら。
もちろんそんなこと頭では分かっていたはずなのだけれど、自分が本当に興味のあることをフランス語の教材にしようとしたら、赤ちゃんに哲学論文を読ませるのと等しく、無理なのは当然だった。